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先日暇だったので、世界平和について考えてみた。(暇だから考えたというのが不遜であるが)
平和というのは紛争がなく、すべての地球人の価値が等価である状態と定義してみよう。結論:無理
おいおい、もう終っちゃったよ...自由主義共産主義、資本主義と社会主義すべてがバランスよく世界規模で実践されて、人間は平等で、差別せず、羨まず、憎まず、争わない世界。結論:絶対に無理。
オイラは無神論者で無宗教だが宗教という面から考えてみよう。各宗教はその教義においては素晴らしいものが多いが、致命的な欠点がある。罰を下すのが人間であり絶対的な正義というものは存在しないということだ。仮に絶対的な正義である「神」が存在するとしよう。でもそれは「神」による恐怖政治ではないだろうか。絶対正義のコンピューター「BigBrother」に統治されている世界。それと同一ではないか。人それぞれが頭の中に神の認識をもてば?これも精神融合でもしないかぎり絶対無理だろう。無数の神が争いを始めるだけだ。
人は内面に善悪というキリスト教的にいえば「原罪」を持っている。それがせめぎ合って精神を形成しているとしよう。しかしすべての欲という「悪」を捨てて悟りを開いた状態というのは死と等価ではないだろうか?ただ生きている状態。原罪こそが人間を人間としているのだろう。まあ人間が誰もいなくなれば世界は平和になるわな。
逆に絶対悪を考えてみよう。人間の天敵とも言える存在。地球規模の脅威に対して世界的にそれに立ち向かう統一政府が結成され、地球共和国が誕生した!で、それって平和な状態なのか?脅威が去れば元に戻るだろう。
結局人間が人間である限り世界平和は訪れない。名案には抜け道が存在し、善行は悪行に勝る事は出来ない。争いこそが人間の本質なのだ。本質を捨てた時点でそれは人間ではない。オイラはジョンレノンにはなれなかった。